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​天龍村の霜月神楽

国重要無形民俗文化財

「冬至」(とうじ)の前後に太陽の力の復活を願って行われる「霜月神楽」(しもつきかぐら)であり、

煮えたぎらせたお湯の周りで舞が行われます。天龍村神原(かみはら)の向方(むかがた)、坂部、大河内の3地区に伝承されています。病気回復などを祈願して神子(かみこ)たちが行います。

飯田市遠山の霜月祭りや愛知県奥三河の花祭りなど隣接地域の「霜月神楽」ではすでに途絶えた演目も多く残っていて、学問的にも高く評価されています。

※神子(かみこ):産土神(うぶすなかみ)(生まれた土地の神様)と契りを交わした人のこと

向方のお潔め祭り

1月3日

面を着けた舞はありませんが、複雑な「剣の舞」「三つ舞」などは呪術(じゅじゅつ)性が高く貴重です。奥三河の花祭の原型ともいわれる「三河大神楽」と共通する演目も多いといわれています。
「お潔め祭り」(おきよめまつり)とは本来、大きな願掛けや祝い事の際に行う臨時祭の呼び名で、現在の祭りは臨時祭と例祭の演目を組み合わせています。

※呪術:超自然的な力によって、さまざまな現象を起こそうとすること

※臨時祭:特別な目的をもって臨時に行われる祭り。(その反対が、毎年決まった日時に行われる例祭(れいさい)とよばれるものです)

坂部の冬祭り

1月4日

郷主(ごうしゅ/郷の長)だった熊谷家の伝記によると、正長元年(1428)に三代目当主が館を移転した際に始めたと言われています。
1月4日午後6時に神輿(みこし)のお練り行列が集落内の火の王社を発し、大森山諏訪社(おおもりやますわしゃ)に到着して祭りの本番を迎えます。子どもたちによる花の舞などに続き、神々に奉納する「本舞」と「御湯」が夜通し繰り返されます。
翌日午前5時ころになると、燃えさかる松明(たいまつ)にまさかりを打ち付ける「たいきり」面を皮切りに、「獅子」「水の王」「火の王」「翁」などの面形舞が続き、さらに狂言(きょうげん)的な「街道下り」「魚釣り」などが演じられます。

浦安の舞(女の子)と花の舞(男の子)の様子 【写真提供 加藤敏明 様】

大河内池大神社例祭

1月5日

隣接する奥三河の花まつりの影響を強く受けており、上衣(うわぎ)の裾(すそ)を釜に浸して湯を飛び散らす「湯ばやし」が特徴です。終盤に行われる鎮めの舞は「天下を踏み固める舞」と言われ、熟練者(じゅくれんしゃ)のみに許される貴重な舞です。

古くは旧暦霜月に開催された霜月神楽で、「池大神社の例祭」ともよばれる。これに対して坂部・向方と同様にオキヨメマツリとよぶ「願ばたき」(がんはたき)の臨時祭があって、ここでは個人宅で開催されました。
祭は扇やヤチゴ・剣を手にした複雑な舞に特徴がありますが、人々の軽い立願(りゅうがん)をはたく願舞が祭の途中に組み入れられます。また向方・坂部では湯立てと舞がセットをなすのに対して、大河内では舞が独立する点などに奥三河の花祭の影響をみることができます。

​※願はたき:願いがかなったときの、神さまにお礼をいうための祭事

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